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プラチュアプキリカンの基本情報

プラチュアプキリカン(プラチュアップキリカーン、プラチュワップキーリーカン)はタイ・中部の県(チャンワット)の一つです。ペッチャブリー、チュムポーンと接し、ミャンマーとの国境を有しています。

プラチュアプキリカンのタイ語表記

จังหวัดประจวบคีรีขันธ์

地理

プラチュワップはマレー半島の北部にあり、タイの県の中でも格別に狭くなっている。特に県庁所在地の南部においてはタイランド湾からミャンマー国境までは、13kmしかない。

歴史

1767年にアユタヤ王朝が滅んだ後、プラチュワプは置き去りにされてきたが、1845年に再建設が始まった。


ラーマ2世により現在のムアンプラチュワップキーリーカン郡にムアンバーンナーンロム (เมืองบางนางรม) という町が建設された。しかし、土地があまり豊かでなかったため、ムアンクイ (เมืองกุย, 現・クイブリー郡) に移転した。その後ラーマ4世(モンクット)はタイランド湾の反対側に位置するムアンパーチャンタキーリーケート(現・カンボジア領ココン)を意識して、ムアンバーンナーンロムをムアンプラチュワップキーリーカン(プラチュワップキーリーカン県)と改称した。


ラーマ4世(モンクット王)は独学で学んだ天文学によって日食の場所・時刻を発見し、1868年9月18日にここを訪れ、予測通り観測できたといわれる。しかし、観測場所に選んだサームローイヨート付近はマラリアのはびこる地帯であったため、ラーマ4世もこれに伝染し、2週間後崩御したという。


1894年、ラーマ5世(チュラーロンコーン)はプラチュワップキーリーカン県をペッチャブリー県の管轄下に置いた。その後1898年ラーマ5世はクイブリー県の県庁をプラチュワップ湾に移転し、その後の1906年プラーンブリー県、カムヌートノッパクン県、プラチュワップキーリーカン県を統合し、プラーン県とし、モントン・ラーチャブリーの管轄下に置いた。1915年8月16日ラーマ6世(ワチラーウット)は地名の混乱を避けるため再び、プラチュワップにプラチュワップキーリーカン県という名前を付けた。


また、旧日本軍が1941年12月8日に太平洋戦争時に上陸したのもプラチュワップである。

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